おかゆ の新曲は「渋谷のマリア」(2023年5月31日発売)。少しダークな雰囲気の漂う、カッコいいロック歌謡だ。
おかゆは、中学生の時にギャル雑誌を見てそのファッションやカルチャーに憧れ、自分もギャルになりたくて17歳で上京し、ギャルメイクとギャルファッションで渋谷に通っていたことが知られている。読者モデルとして何度も雑誌に掲載されたことがあるという。
ときどき歌番組などで、その頃の写真(金髪ギャルメイク)が紹介されることもある。
渋谷はおかゆにとって、思い焦がれたきらびやかな街であり、遊び場所であり、やりたいこと・なりたい自分を実現するための場所だったのだ。
この歌は、そんな渋谷を舞台に「マリア」という架空の女性の生い立ちや成長を歌ったもの。
マリアはどんな女性?
主人公の名前として「マリア」を選んだのは、日本を含めて世界中でよく使われる名前であるかららしい。
限られた歌詞の中では、マリアがどんな容姿なのか、どんな価値観の持ち主なのか、詳しくは描かれていない。しかし、どこか陰があり、人付き合いや恋愛に不器用で、寂しがりな人柄が断片的に読み取れる。
青春時代に一緒に遊んでいた仲間も、オトナになって変わっていく。渋谷の街も激変していく中で、取り残されていくようなマリア。
彼女の周りで、家族・友人・恋人とどんなエピソードがあったのだろうか…と想像できる余白が多い歌である。
一人称で今の等身大の気持ちを歌うような作品とは別に、このように歌の中で長い歳月を経過させながら、登場人物が年齢を重ねていく形式の歌を書いたことは、シンガー・ソングライターとしての創作性の成熟を感じさせる。
インタビューで、おかゆはマリアについて「重なる部分はあるものの、私自身をモデルにしたというわけではないので、自由に想像して聴いてほしい」という意味のことを語っている。
ファンからすれば、「歌うのが大好きな母」「ド派手なメイク」「ギターを抱えて歌っている」など、人物像の一部に、おかゆ本人が投影されていることは明らかなのだけど。
とはいえ、それらもマリアをイメージするための材料の一つに過ぎない。派手なメイクとファッションをした人は渋谷には必ずいるし、ライブハウスが多いこともあって、ギターを持った若い人も大勢いる。いつの時代も、マリアのような女の子がいたかもしれないと思える。時代や人物像を限定しないことで、聴き手の想像力に委ねられ、歌はより普遍的になるのだ。
渋谷スクランブル交差点付近 (写真:Photolibrary)
マリアを見ているのは誰なのか
何度か聴いているうちに、ふと疑問が浮かび上がる。
これは、いったい誰の視点で歌っているのだろう?
作詞する時、まず視点をどこに定めるかは重要なポイントとなる。
その点、この歌には「私」や「彼女」といった呼び方も出てこない。マリアとの具体的な会話も出てこない。
マリア自身のモノローグ(独白)と思われる部分もあるが、全体的に、第三者が俯瞰して見ているような歌詞だ。つまり、
「知ってる? マリアっていう、渋谷育ちの女の子がいてね…」
と、物語の語り部のような口調で誰かが語っているようなフシがある。
マリアの母親? マリアの幼馴染? マリアをよく知る道玄坂のスナックのママ?
あるいは、彼女の成長を見守っている「渋谷の街」そのものだろうか。
歌に出てくるプラネタリウムは、かつて2003年まで渋谷駅東口にあった、東急文化会館の五島プラネタリウムのこと。常に古い建物が取り壊され、新しい高層ビルや商業施設ができ、駅もリニューアルされる。渋谷はそのスピードが異様に早いのだ。訪れる間隔が1年も空けば、その激変ぶりに驚くだろう。
2023年現在、渋谷のあちこちに、もはやSFで描かれていた近未来都市そのもののような光景が広がっている。
渋谷スクランブルスクエア(2019年オープン)
昔ながらの飲み屋街や雑然とした横丁も残っている一方、再開発計画の話もある。
渋谷は、きっとこれからも、ものすごい勢いで変貌していくに違いない。
ちなみに筆者は、かつて何度も歩いた桜丘町の、線路脇にあった小高い丘(外回りの山手線に乗ると、渋谷駅に着く直前に左側に見える辺り)が、まるごとなくなって再開発され、巨大なビルが建設されている様子を見ると、何もかも押し流していく時の移り変わりに、気が遠くなる思いがする。
そんな中でも、歌に出てくるハチ公前、道玄坂、スペイン坂は、たぶん100年後も変わらず残っているだろう。
聴き手は、それぞれ「マリア」の人物像を思い描き、実際に渋谷を訪れた際に、
「もしかしたら、ここに本当に“マリア”がいたかもしれない…」
と考えながら歩くのだ。
東京周辺で暮らした経験がある人なら、誰にもそれぞれ、渋谷のかつての街並みの記憶や、渋谷で楽しく過ごした思い出があるのではないだろうか。
変わりゆく街の中で、かつて確かにあった存在、今もどこかにあるはずの変わらない存在。そして、変えてはいけない生き方。
マリアはその象徴として、あなたの心の中に棲んでいる… かもしれない。
(※次回、メロディーやサウンド面について考察する編を近日中にUPします)
地下鉄銀座線 渋谷駅ホーム(2020年リニューアル)
おまけ
「渋谷という谷」という歌詞が出てくるが、地形的に見ると、渋谷はその名の通り、周囲から低くなっている谷底。
渋谷川や宇田川(現在は暗渠化)が流れており、渋谷駅付近を谷底の中心として、西に道玄坂、東に宮益坂など、放射状に坂が延びている。
よって、渋谷公会堂やNHKホール、道玄坂の途中のライブハウス、渋谷区文化総合センター大和田、さらにはおかゆの所属するビクターエンタテインメントなど、どこへ行くにも、ほぼ必ず坂を登らなければならない。
もし登る坂を間違えると、来た道を全部下って戻るしかないので、大変なことになるのである。
筆者も地理に疎い頃、渋谷公会堂方面へ行くつもりで道玄坂を登ってしまい混乱したことが何度もある(笑)。
もうひとつ余談だが…。
「渋谷のマリア」のMVの冒頭で、スクランブル交差点の向こう、多数のネオンの中に一瞬だけ、人気漫画をアニメ化した作品の屋外広告が映る。その主題歌は、ヒット中のYOASOBI「アイドル」。実はその歌詞の中にも「マリア」という言葉が一度だけ出てくる。(韻を踏みながら登場人物名をうまく入れてあるラップ部分なのだが、マリアという人物は作中に出てこないので不思議に思われているらしい)
ただの偶然に過ぎないし、そこに取り立てて意味を求めるつもりはない。
でも、まさにJ-POPの最先端をゆく音楽ユニットの楽曲と、昭和歌謡を音楽ルーツに持つおかゆの楽曲が、同じ2023年に発表され、一部とはいえシンクロしたことに、少し驚いている。
関連リンク
前作「赤いひまわり」のレビューはこちら。
・おかゆ「赤いひまわり」1年越しレビュー ~ 呼び名がどうであれ、花は嘘をつかない
・おかゆ「渋谷のマリア」の歌詞 (歌ネット)
【各Webメディアのインタビュー記事】
・おかゆ、メジャーデビュー5周年の新曲『渋谷のマリア』で自身の原点・渋谷を歌う 「歌手としての自分が生まれ変わるような衝撃的な出来事が起きました!」(うたびと)
・【Colorful Interview】おかゆ、5年目の原点回帰。「私にしか表現できない世界観を聴いてほしい」 (カラフル)
・おかゆの原点・渋谷に生きる“マリア”の物語~新曲「渋谷のマリア」でシャウトして~ (オトカゼ)
・【おかゆ インタビュー】『渋谷のマリア』で更に進化!「渋谷で過ごした青春の日々が、今の私を作っている。」 (KANSAI PRESS)