市川由紀乃 「花わずらい」レビュー ~ 大胆に取り入れた5つの『演歌の禁じ手』

市川由紀乃 花わずらい

市川由紀乃 の新曲「花わずらい」。(2023年4月26日発売)
YouTubeではMVが発売と同時にフルコーラスで(!)公開され、1カ月で再生数57万回突破と、この春発売の演歌の新譜の中でもトップクラスです。ショートバージョンを聴いただけでも衝撃的だったのですが、フルコーラス聴いてさらに驚きました。この曲には、従来の演歌にはほとんど見られなかった、掟破りの手法と言える要素がいくつも取り入れられています。それらは、基本的に演歌の楽曲では避けられる傾向にあり、よほどのことがなければ使われなかった「禁じ手」なのです。

<目次>
【その1】短いイントロ、サビから始まる
【その2】歌詞にカタカナの外来語が登場
【その3】転調してキーが上がる
【その4】テンポが遅くなり、また戻る
【その5】サビの歌いまわしが異なる
【禁じ手 その1】短いイントロ、サビから始まる

「花わずらい」は、わずか6秒ほどのイントロで、サビから始まります。
サブスクリプションやTikTokで音楽を聴くスタイルが当たり前になった影響で、J-POPのジャンルでは、曲が始まって数秒で興味を持ってもらえるよう、イントロが極端に短かったり、いきなり歌から始まって、いちばんオイシイ「サビ」からまず聴いてもらう楽曲が多くなっています。その傾向が波及し、ここ数年は演歌でも同様の曲が見られます。ただし、まだまだレアなケースです。イントロで数十秒かけて聴き手を歌の世界に引き込み、歌い手もその間に主人公を演じる心の準備をする必要があるからです。

【禁じ手 その2】歌詞にカタカナの外来語が登場

1番のAメロ冒頭に「ワインの小瓶」という歌詞が登場します。「花わずらい」という和風なタイトルに加え、着物スタイルのビジュアルなのに「ワイン」。聴き手に「これは都会的な現代の歌なのだ」と思わせ、演歌といえば日本酒、というイメージを覆してみせるのです。歌全体の色合いを変えるほどの重要な単語。これが「熱燗ひとつ 空けました」とか「ひとりで焼酎 飲んでます」だったら、女性像が全然変わって来ますよね? そう、この歌で描かれる女性が飲むのは「ワインの小瓶」でないとダメなのです。

ワイングラス

画像:photolibrary

【禁じ手 その3】転調してキーが上がる

2番まで歌い終えた後、最後の盛り上がりへ突入。大サビと呼ばれる部分で、おおなんと、演歌では最大の「禁じ手」といえる、転調をしているのです! GmからA♭mに半音上がります。ここでいう転調は、アニソンなどに多い、サビでガラッと変わる転調ではなく、曲の終盤でサビを繰り返す際、さらに盛り上げるためにキーが上がる転調。女の情念が、ココでさらに爆発します!

演歌では、メロディーが大きく飛躍したり、高い音域が続いたりといった、とにかく「高い声を出させる」ことに慎重です。歌手本人にとっては難なく歌えるものであっても、多くの演歌のユーザーは、主に自分がカラオケで歌うために楽しんでいるので、「これは難しくて私には無理」と敬遠されればセールスが伸びなくなるからです。かといって簡単すぎてもダメで、適度に難所を盛り込んで、「チャレンジしたい!」と思わせるのが制作陣の腕の見せ所なのですが。

途中でキーが上がる演歌の作品は、振り返ってもほとんどありません。古い例になりますが、森進一の「北の螢」が思い浮かびます。あと何がありましたっけ…?
レコードでは転調していなくても、歌手がステージで歌う際だけ最後にキーが上がるアレンジがされていたのは、都はるみ「北の宿から」、細川たかし「望郷じょんから」があります。

【禁じ手 その4】テンポが遅くなり、また戻る

前述の大サビで盛り上がりが最高潮に達した中、「怨みもせずに 悔やみもせずに」で、テンポがだんだん遅くなります(リタルダンド)。そして完全に止まった状態(ルバート)で、「枯れや…しません…」とためにためて、「花は まだ~」と絶唱! そこで、元のテンポで後奏が始まります(ア テンポ)。なんという劇的な展開でしょう。カラオケで歌う時にムチャクチャ難しいポイントです。よほど聴き込んでタイミングを覚えないと合わせづらいでしょう。後奏も大変短めで、ジャジャッ!と思い切りのいい終わり方です。見事。

【禁じ手 その5】サビの歌いまわしが異なる

上記の部分、キーを上げた上に、さらに、大サビの最後を締めくくる部分の「枯れやしません 花はまだ」のフレーズは、歌詞は1番・2番と同じでありながら、ここだけメロディーが違います。最後に向けてただ駆け上がっていくメロディー。最大の見せ場と言えます。
演歌は、1番の歌詞と2番の歌詞を、わりと厳密に言葉数をきっちり揃えて作るため、歌いまわしが大きく異なるなんてことはめったにありません。

楽譜・譜面

画像:photolibrary

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ここまでやると、もはや演歌の枠をはみ出した「歌謡曲」と呼びたいところですが、曲全体のテーマや作風はしっかり「演歌」という地面に足を着けています。

「花わずらい」の作詞は松井五郎氏、作曲は幸耕平(みゆきこうへい)氏、編曲は佐藤和豊(さとうかずと)氏。松井五郎氏は演歌界だと山内惠介への作品提供で知られており、市川由紀乃への提供は今回が初。インタビューによると、市川由紀乃自ら「サビから始まる曲構成にしたい」という希望を幸耕平氏に伝え、それが実現したとのこと。歌番組でさまざまな楽曲を歌いこなしてきた他、プライベートでもカラオケでJ-POPやアニソンを歌っており、現在のヒット傾向を知っている彼女だからこそできたのでしょう。ただ与えられた作品を歌うのではなく、作家に対して事前にそういう希望を出せるような良好な信頼関係を築いていることもうかがえます。

アレンジを手掛けた佐藤和豊氏のツイッターには、レコーディングに参加したミュージシャンの名前も明記されています。

上記5つ以外に、たとえば「そこは八分音符でいいんじゃないの?」というところまで十六分音符にしてあったり、あえて前に休符を置いて裏の拍から入ったりと、譜割りの面で複雑な箇所が多い印象です。「一般人の歌いやすさ」が考慮されているようには思えません。カラオケで、間違ったまま覚えたり、勝手に簡略化したりして歌う人が続出しそう。
CDジャケットも、扇子(?)で顔を半分隠すなど、演歌ではまずありえない構図になっています。

言葉の頭に、母音が「あ」になる音が来る単語を多用しているのも印象的です。明るいので、いちばん耳に残る発音です。

いてあやとり けばぼろし」
れやしません 花はまだ

これ以外にも多数あるので、歌詞をあらためて確認してみてください。最後の歌い終わりも「花はまだ~~~」とア音で伸ばすようになっていて、余韻がいつまでも残ります。もちろんこれは、ポップス・演歌を問わず、多くの作詞家やシンガーソングライターが要所要所で意識してやっていることではありますが、ここまで盛り込むとはさすが…という感じです。

時には色っぽさを醸し出しながら、ささやきから絶唱まで、さまざまな表現力の技をこれでもかと詰め込んだ市川由紀乃の歌唱。
ステレオタイプになりがちな女の情念や意地といったものを、決して古すぎない言葉で、発音の響きまで考え抜いた松井五郎氏の作詞。
ここ10年ほど、市川由紀乃のほとんどのシングル作品を手掛けるとともに歌唱指導も行い、豊かな表現力を引き出した幸耕平氏。
荘厳で美しいストリングをメインに、壮大な映画をギュッと凝縮して見せられているようなドラマティックな編曲で世界観を演出した佐藤和豊氏。

4分20秒の間、音の世界に浸って耳が離せない、おそろしいほどの完成度。演歌も時代に合わせて進化しているのだということを実感させられる秀作です。

市川由紀乃 花わずらい「花わずらい」市川由紀乃


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