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キングレコードにて記者会見。お茶目でサービス精神豊かな人ですから、涙を見せながらも取材陣に対して冗談を言ったりして、終始和やかなムードだったと思われます。
本人も自分で言っている通り、これを「わがまま」「身勝手」と捉える人も多いかもしれません。
「死ぬまで現役」は確かにカッコいいです。でもそれを貫けるのは、例えば家族の面倒を見る必要がなかったり、ビジネスに関係なく助けてくれる理解者の存在に恵まれていたり、あるいはよほど財産に余裕があったりする場合だけではないでしょうか。(勝手な想像ですが)
会見では「子供の頃からこれまで自分のために時間を使ったことがなかった」とも語っており、還暦を節目にこれからの人生を考えた時、今後はゆっくりと自分のために(そして母親のために)時間を使おうと決めたのでしょう。それを誰が責められるでしょうか?
昨年からかなりのペースで公演を頑張っているのも、事務所のスタッフの今後をできるだけ保障するためなのかも。「引退」「これで最後」と告知して集客を見込むのは、ビジネスとして当然です。そして、それならばきちんと見納めたい(お別れを言いたい)というファンの思いを汲むこともできます。黙って引退されたらファンは後悔が残りますから。
ただ哀しいのは、誰もが知っている名曲が、もう二度と本人の歌唱で歌われなくなってしまうことです。
何度も書いてきた私の持論を、ここでも書きます。
歌は、発表されてから何年たとうが、オリジナル歌手が現役で歌っている限り、古くなりません。年齢を重ねつつも生の舞台で歌い続けることで、歌は変化し、常に新しい命を吹き込まれているのです。言い換えると、オリジナル歌手が歌わなくなった途端に、一本の線が引かれ、それは一気に「懐メロ」になります。いかに他の歌手がカバーしようが、それはもう「過去の歌」になるのです。
何千回歌われていようが、年齢を重ねようが、森昌子さんが歌う「越冬つばめ」を聴くと、今でもやっぱり「名曲」の持つ力に感動するのです。その機会がなくなることは、やはり寂しいです。